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社会人スタート
大学卒業後株式会社 M入社(当時一番よくコマーシャルが流れ目立っていた企業。 宝石のバイヤーになって、宝石商になろうと思って入社。 スーパーモデルを起用し数々のヒット曲を出したCMで有名で、当時はダイヤモンドのシンジケートであるデビアスが扱う世界中のダイヤモンドのうち、30%がこの会社に卸されていた。) 扱い商品:
婦人服、毛皮、貴金属、宝石等 を扱い知人にはとても見せられない研修を受け、気の強い女性の世界へと入っていきました。

在籍中、女性販売員しかいない環境に当初戸惑ったものの 同期数百名のなかTOPの販売成績を維持。 社内新聞などに掲載され喜んでいました。 売り上げ至上主義でした。 所謂、「なんでも売れる術」を身に付けた時代でした。 店長になり閉鎖寸前の店舗を復活させたときは、商売、経営の醍醐味(?)を味わいました。 今では、あんまりありませんが、買いたいと思わせる術を身に付けたと思います。
(人材活用マネジメント販売促進、在庫管理、売り上げ管理、テナントとの交渉etc..アドバイスとしては、喜ばれます。)
しかし、出世(?)して会社の内部を知れば知るほど幻滅させられました。 当たり前のように水増しされている売り上げ金額。横行するセクハラ…。
退職の報告に行くと
「俺も辞めたいなぁ」とか言ってました... 残念。
時給650円から営業所長へ
アパレル業界は男性の人材不足。
何社か誘ってくれる会社もありました。(そのなかに凄く成長した会社「U」があります....)

そんななかから結局、全く知らない業界だけれど興味のあった「旅行業界」へ。 株式会社 H入社(格安航空券の先駆け、ベンチャー精神に飛んだ会社でした。)
福岡支店へアルバイトとして配属し、いきなりカウンター営業に携わりました。
最初は、パニックでした。
業界用語、都市名、何を言ってるのかも分からず...
キーボド打てず...
英語で話も出来ず...
3ヶ月ほど経って、売り上げは、なんとかあげていました。
西日本最大200坪面積をもつ大型旗艦店の立ち上げメンバーに選ばれ、 ツアーセクション責任者へ昇格しその後当時の最年少で所長へ昇格し岡山営業所へ。
スタッフ2名売り上げ数千万からのスタートでした。
休みもとらず、毎日会社へ行って仕事漬けの時代でした。
スタッフ13名に増え、売り上げも10億円まで伸びた。 赴任当初、九州中国地区15店舗中で14番目の規模であったが、 本部営業所、広島支店に次いで20店舗中3番目の規模に成長。
この5年間、既存店が伸び悩む中、岡山営業所の売上額は約10倍に伸びる。
働く人のモチベーション(意欲、やる気)を高めることで企業の成長・業績向上があると実感してきました。 経営書などの受け売りではなく売り上げ数千万円から10億円を実経験。 航空会社などとの折衝、広告代理店やTV局とのタイアップ、そしてクレーム処理 数値目標・行動目標の策定方法からプラン(計画)・ドゥ(行動)・アクションチェック(検証)に管理。
小→大への成長を体感できたことは、今非常に役に立っています。
充実していたが、マンネリ…。 搾取され増えない給与...。 自分をリセットしたい気持ちを抑えられず、また交通事故で痛めた自分と妻の腰の治療に専念したい意向があり、退社を決意。
失業保険給付時代
その後、専門学校にて中小企業診断士やFPをとろうと通う。 (何もしていないのに、毎月20万以上国が支給してくれた。ありがとう!)
また、パソコンの授業でACESS、POWERPOINTなどのソフトをはじめて習い便利なもんだと関心。 なかでもDreamweaverやFrontpageをならってホームページのSEOを少し習ったときは身近に感じ感動しました。 AFPは、取りました。(現在、失効してます.....) 起業するか就職かに悩みに悩むが、結局就職...。
(不思議といえば、不思議なのが学生の頃から私は面接で落ちたことが一度もありません。このHPを見た学生さん就職相談を受けたことがあります。)
中途入社と挫折
住宅 Sハウス入社 (日本一の住宅会社) 2週間の研修を受けて、希望どおり配属されいきなり幸運な事に一棟契約。 給与もいい。

こんな会社もあるもんだと感心していましたが、交通事故の後遺症からか外回り時に突然の腰痛が襲い歩けなくなる。 足の痺れが出て自宅療養となる。 これには、精神的にへこんじゃいました....。
放浪時代から創業期へ
今回は、失業保険も無いので何かせねばと 知人の映像事務所に遊びに行く傍ら、可能性の感じたWEB構築を独学で学び始める。
簡単なものができ始めたので、早速、営業開始。 初の依頼は事務所の近所の散髪屋さんにチラシをもっていくと依頼をしてくれました。(5万円の売り上げでした。) こうしてWEBコンサルタント兼デザイナーとして個人事業主として独立開業。
当初、試行錯誤の連続でしたが次第に歯科医院、美容院、店舗、生保営業などの依頼をいただくようになる。 「格安ホームページ屋さん」として薄利多売を追及し、なんとかサラリーマン時代の収入を得る。
その後、徐々に今までの経験を生かし自分にしかできない独自性を出そうとと「売れるためのホームページ創り」を追求し始める。
ヘッドハンティングとまたまた挫折

あるHP構築依頼を受けて東京へ出張。 絶好調の高収益ウェディングプロデュース会社が新たに宝石販売と海外挙式を始めるということで資金も潤沢で内容もはまり役。 かなり有意義な仕事ができたと満足していたらときに「一緒にやりませんか?」との依頼。
それなりのポストと報酬を提示されました。
かなり悩みました。 きままな個人企業主も楽しいし、逆に大きなステージで潤沢な資金を使ってやっていくのも楽しい。 でも勤務先は、東京になってしまう。 家族もいるし、そこまでの勇気は無い…。だが、ウェディングの高収益ビジネスは覚えてみたい。
そこで考えたのは、
「岡山に新しい式場ができるなら、そこでまずやらしてほしい。現場を知ってから考えさせてください。」
そんなわがままな条件を相手企業は呑んでくれました。 ということで岡山の立ち上げメンバーとして入社することに。
億のお金をかけた施設を立ち上げる面白さは格別で結婚式のイロハも覚えました。 もうすぐOPEN。 さぁ、これからというときににまたしても、ここでも腰痛に悩まされることになる。
第二創業期開始
結局、2ヶ月近く寝たり起きたりの繰り返しの日々。 やはり、結構へこみます。 しかし、前と違うのは、手に職があるという事。
少しづつ新たにホームページを立ち上げた。
ありがたいことに作り直したホームページから仕事がどんどん入って落ち着くことが出来ました。
学生時代からサラリーマン時代含めて、数字を追うことが好きでした。
「モノを売るにはどうしたらいいか?」
「どんなサービスが喜ばれるのか?」
「どうすれば、効率よく仕事ができるのか?」
「どうすれば、皆がハッピーになるのか?」(これが一番難しい!)
を常に考えていました。
ホームページを作るだけなら、非常に簡単にでだれにでもできます。 しかし、結果のでるホームページは誰でもできるものではなく、現場で結果を出してきた者だと思います。
「売上を上げるために・・・」 これがやっぱり重要です。
IT化は産業革命に匹敵する、時代の大変革と言われていますが、 「訳がわからん。」と知らずにもったいない事をされている方が多いのです。
それは、仕方のないことですが勿体無い。 それを解消して差し上げる事が出来ると思っています。
この文系出身でパソコンに嫌悪感さえ抱いていた私だからこそ、不得意な方のお手伝いが可能なのだと自負しています。
皆様が困っていた「IT、パソコン、インターネットとの壁」を壊すこの仕事に今は全力を注ごうと思っています!
よろしくお願いします! |
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