子供のころ神童と呼ばれていた人はたくさんいるかもしれない。
同じことを勉強するにも、ほとんど努力しないで他の人よりも簡単に出来てしまうためにそうおもわれる。
一般の人が一所懸命四苦八苦しながら取り組むところを、すぐに内容を理解しこなしてしまう。こういった地頭のいい人は、すぐできてしまうため練習量、演習量が少ない。
ところが、難易度がある一定レベルまでくると、中途半端な神童(?)は即座に内容を理解することが難しくなってきます。
その中でも、塾にも行かず、親に教わっただけとか、一を聞いただけで十も百もわかってしまうような頭で、天才に成長するひともいます。
塾にもいかず全国模試で一番とか、辞書読んだら全部覚えるとか、ラジオ英会話を聞くだけで英検一級になる人なんかも出てきます。
この人たちは、神童から天才へとなっていきます。
即座に内容を理解できなくなった神童は、神童ではなかった人の中で努力を続けてきた優秀な人に抜かされます。
凡人(語弊がありますが)が、小さい頃にたくさんの演習や試行錯誤の中で手に入れた達成感のようなものを神童は持たずに育ってしまうのです。できないことができるようになるという感覚を経験していないのです。
小さいころにこの感覚がないと成長してプライドだけが高くなり、努力に慣れていないので理解が難しくなってしまう。
凡人がそれを理解するために必要とする方法を知っているのに比べて、元神童は「経験による感覚」を持たないため、神童は同じ演習量でも理解が苦しくなってしまうのです。
ただ、地頭がいいので、学校での学習以外の場面に秀でていている人が多いと思います・
楽しい人が経営者や職人さんに多く私のお客さんに多くウェブの管理講習などは理解も早いです。
小さいころに試行錯誤する教育。神童が凡人の成長を待つ期間をなくし、神童たちに合わせた教育をやっていかないともったいないです…
「できるから」という理由で、大事な時期にほっとかれてるわけですから大問題です。
似たようなことが、様々な場所で起こってるような気がします。